「全力で目いっぱい勉強したい」

 

どうも 寺本です。

昨日、朝から晩まで喫茶店に居座り続けた。

一日使ってやってたことってのは

パソコン出して、

テキスト、過去問出して、

文章加工したものを画像に撮って

チャットワークやラインで

講座の人たちに送る。

質問があれば返す。

 

気がつけば 夜になる。

試験前は毎年こーなる。

休みや仕事に関係なく

私が受験生を教えてる場所は喫茶店になる。

 

朝から晩まで喫茶店に居座り続けるとは?

想像がつかないかもしれないが

店長、従業員との信頼関係があり、

そして、ほかの客よりゼニを出してるからこそ、できることだ。

そこらへんの一見の喫茶店で同じことはできない。

ーーー

私は資格受験生のみなさんに偉そうにモノを教えてる。

何を教えてるかというと

資格試験の勉強の醍醐味だ。

 

ところが、

たいがいの受験生は

試験で出るとこ、

点数なるとこ、

そればかり探してる、それしか興味がない。

 

だが、

わたしからすれば、それはボタンを掛け違えてるだけ。

ボタンを掛け違えたまま、試験会場にいくことになる受験生が80パーセント以上いる、

そのことを はるか10年以上前から私は知ってるのだ。

 

簡単に言ってしまえば

• 追求する楽しさ

• 長時間 頭を使い続ける楽しさ

そこをアシストしてもらわなければ

しょせん、身にはならん、

それをすっ飛ばして

試験で出るとこ、点数なるとこ、

そんな表面、上辺だけを捉えようとしても

試験会場で戦える体にはならんのだ。

 

なぜなら

試験官は
受験生の表面、上辺の勉強を知りつくした上で攻撃してくるから。
受験生が嫌がるツボを全部知ってるってこと。
もちろん、
私は試験官よりも先を行ってるから
そこのアバウトな話を言語化して伝えることができる。

「なんで自分はそんなことができるのか?」

不思議に思うことがある。

理由はたぶん 以下のようになる

ーーー

何年も同じことを続けてきて

たくさんの資格受験生からメールをもらってきて

私は思うんです。

「俺が試験会場いくために頑張ってるわけじゃないのに、何を俺は熱くなってるんだ?」

ってね。

 

それは、

やりとりしてるからに他ならない。

全国の資格受験生がわたしにメールくれるから。

仮に、

問い合わせ、メール、コミュニケーションなしに
全国受験生とのやりとりなしに
個人的なやりとりなしに
単に私が作った教材に金払ってもらってただけなら
私の合格指導スキルはとっくに退化していただろう、

 

試験官が狙ってるツボ?

試験会場は非日常?

なんですかそれ?

予備校のポンコツ講師と同じく、

単に、知識に詳しいだけの、
時代についていけないおっさんに成り下がっていただろう。

ーーー

全国受験生とやりとりできてるから何が伝わる?

 

勝負熱ですよ。

メールのやりとりだけで

「全力で目いっぱい勉強やりたい」

その勝負熱が伝わってくるのだ。

もちろん、

目の前で話すとか電話で話すとか

そうゆう、リアルの世界の感触なしに

メールの文章一つで

相手の勝負熱が伝わってくる。

 

その勝負熱をいただいてるからこそ、

• テキスト、過去問、イジる。

• 文字や画像を受験生にデータを送る。

今日、私がやるかやらねぇか?の行動力になってる。

そう、
私の行動力の支えがそうであると言うならば

資格受験生も
誰かから勝負熱をもらってなければ 勉強やり切れない思いが募るだけなのだ。

決して
本やネットの情報では得られるものではないのだ。

ーー

「正直になればいい」

私はそう言った。

「全力で目いっぱい勉強やりたい 」

それが正直な気持ちなはず。

そこを貫くには 仕事の事情、時間• ゼニカネの問題が邪魔してる?

決してそうゆうことではありません。

 

人とのつながりを意識する力が薄らいでるからだ。

人と関わらんでも なんとかやっていける道具や環境が揃いすぎた、

それが自分の感覚をサビつかせてると気づくことです。

 

もし 私の言ってる意味がわかったとしても、

それでも 踏み切れないぎこちなさを感じるとしたら

それは 奇跡を見たことがないからだ。

現実の世界で奇跡を見ることができるのは

正直になった人だけです。

あなたの一歩前にいる人と あなたの違いはそれだけなのだ。

 

自分に正直になりたいなら

いつでも私にメールしてくればいい。

 

おしまい

寺本考志